——エルフの挨拶を知ってるかい?

 こんな日でも「いい天気ですね」って言うんだ。

 彼らにとってはどんな天気でも好ましいらしい。

 

 僕?

 ヒトに囲まれて育ったからね。

 人並みに荒れた天気は嫌だし、晴れた空は好きだよ。

 

 

-- 荒天の折、雨宿り。ある傭兵がハーフエルフに聞いた話。



 「いやぁ、ひでぇ天気だな」

 

 軒下に駆け込んできた男がぼやく。全身は池に頭から浸かったあとのようにずぶ濡れで、そこいらにいる男たちと大差のない姿をしていた。水の落ちるけたたましい音が、頭上の屋根で鳴り響いている。

 いち早く屋根の下へ入り、さほど濡れなかった傭兵のヴィクトは、ありあわせの薪で暖炉の火を起こしていた。

 商隊の出発を待つほんの少しの間に降り始めて、途端に本降りになった雨。傭兵たちに割り当てられた宿舎は引き払ったあとで、近くの手狭な山小屋に避難するしかなかった。あとからあとから小屋へ入ってくる男たちも、同じ商隊の雇われ傭兵たちだ。十名ほどはいる。

 

「おい、奥へ入れ。こう冷えるといくらなんでも応えるだろう」

 

 ヴィクトの呼びかけに応じて、頭からまともに水を被った男たちは、周りの様子を見つつ暖炉に寄ってくる。

 傭兵を生業とする男たちは、両手がふさがるのを嫌って雨具を持たない。小降りの雨くらいであれば頭巾やフードすら被らない者が多い。だが、池が頭から落ちてきたようなこんな日は、そんな習慣を恨むことになる。おまけに気温がぐっと下がっているから、夏とは言え、鍛えている傭兵とは言えど、油断はならなかった。ヴィクトも冷えた手を暖炉にかざす。

 

 ──この仕事は体が資本だからな。夏風邪でも引けば食いっぱぐれちまう。

 

 暖炉の近くは、三人ほどで囲めばすぐに埋まってしまう。少し温まったらしい男が立って場所を開けたのを見て、さほど濡れずに済んだヴィクトも遠慮して暖炉の傍を離れることにした。

 男たちはいかつい見た目に反して、しずしずと互いに譲り合う協調性を持っていた。ある程度冷えから解放された者は、順々に暖炉の近くを他の男に譲っていった。

 商隊に護衛の依頼を受けている彼らは、それぞれに独立した傭兵で、出身もまばらなら会話もまばらだった。

 仕事ができているわけだから言葉が通じないわけではないが、少し喋らせると異国の訛りが混じる者も多い。どの国も活発な交易はあるものの、利害のすべてが一致することは稀だ。くわえて、仕事を斡旋するギルドへの所属や対立の事情も個人によってさまざまある。己の事情を明かしたり、相手の事情を暴いたりするのは、同じ仕事についているあいだは裏目に出ることも多い。傭兵というのは、仕事中は粛々と仕事に当たって、情報集めは仕事のないときにやるものなのだ。

 そんなこともあり、最低限の仕事に関する情報共有以外では、傭兵同士が会話することは少ないのだが──。

 

「こりゃ、今日の出発は無理だろうな」

「明後日には隣の町に着いていなきゃならんと聞いたが」

 

 ある男がつぶやくと、近くの男が言葉を返した。

 そこへさらに、別の男が口を挟む。

 

「いずれにしろ旅程が増えるのは勘弁だぜ。割に合わなくなる」

 

 かじかむ手を温めながら、頭上に降りつける雨に文句を言い合う。それくらいのことは、仕事に支障をきたすわけでもない。むしろこういう場では、必要以上に物静かにしているほうが不自然だ。

 ヴィクトも少しだけ会話に交じる。

 

「小降りになっても動かないかもな、商隊は」

 

 これほどの雨なら、上がったとしても道がぬかるんでいて進みにくい。ぬかるんだ道を無理にゆけば、馬にも車にもがたが来るのが早くなる。それに、小降りになっても荷物は浸水する危険がある。商隊にとっての荷物とは売り物だ。濡らしては価値が下がるものも多い。

 だが、傭兵としては、なるだけ穏便に、かつ迅速に商隊に進んでもらうほうが都合がいい。傭兵たちにあらかじめ渡されている前金は、予定している旅程の分しかないのだ。商隊の長の采配によって、仕事が終わった際に出る報酬にはばらつきがある。ケチな商隊長にあたれば旅程が延びようが山賊から守ろうが、成功報酬がごく僅かしか出ないことも珍しくはない。

 そんなことを経験で共有している傭兵たちは、重たい溜め息をつく。

 

「ま、仕方あるめぇ。損得勘定でしか動かん連中だからな」

 

 また別の傭兵がつぶやいた。

 商人というのは傭兵などよりよほど口が上手いので、下手に報酬の上乗せを要求しようものなら、ありとあらゆる揚げ足を取られてかえって弁償を迫られることすらある。

 武力で威嚇する傭兵もいなくはないが、ほとんどの傭兵は手っ取り早く出された金だけを受け取って引き下がるほうを好む。武力を売りにする仕事だからこそ、それを恐喝に使えば評判も落ち、次の仕事を失いかねないからだ。

 旅程、報酬。ぽつぽつと発される話題に、屋根の下にはじりじりと不満が溜まってゆく気配がした。

 天候による足止めは商隊の責でもないうえに移動もしないから、余分に日銭を要求するのも無理がある。稼ぎのない日をただ過ごすのは痛い。ヴィクトを含め、ほとんどの傭兵は土砂降りを憎々しげに見つめていた。

 ひとりの、小柄な傭兵を除いては。

 

「いやぁ、『いい天気だね』」

 

 どんよりとした空から雨雲を攫ってゆく風のような声がする。

 異質な声と挨拶に、何人かが声の方を向く気配がする。ヴィクトも目を向けた。

 軽装に弓矢を装備した、少年の傭兵だった。同じ商隊の雇われ傭兵には違いないが、体躯が小さいので、ヴィクトはさほど注目していなかった。

 一番最後に軒下にたどり着いたらしい彼は、ずぶ濡れになりながらもどことなく楽し気な表情を見せていた。

 まだ水が滴るフードを脱ぐと、ぶるぶると頭を振る。高く結った金髪から、明るい緑色の耳飾りが光って見えた刹那、少し異様な耳が覗いて、ヴィクトはどきりとした。

 その耳が意味するものを、その場のほとんどがすぐに感じ取った。

 尖った耳をもつハーフエルフ──ヒトとエルフの血を継ぐ特異な存在。

 ヴィクトは少年の耳を見て、ふっと腹に力を入れた。理由はわからない。小柄だし、声もまだ高い。ヴィクトたちに危害を加えることができるとは思えない。

 ただ、普通の存在ではないことは確かだ。さほど注目せず観察を怠っていたのは軽率だった。多様な出身を持つ傭兵たちのあいだでも、その異質さは際立つ。

 場が少し緊張を帯びているのを知ってか知らずか、何も変わらない調子で少年はつづけた。

 

「エルフの挨拶を知ってるかい?」

 

 ほとんどの傭兵が異質な存在に気づいて警戒心を持つ中、傭兵にしては珍しく、人好きのしそうな愛嬌を持つ男が進み出た。

 

「少年、おめぇさんハーフエルフじゃね?」

 

 訛りのあるこの傭兵は、面倒見の良さそうな、中肉中背の男だ。彼が暖炉で少し温まるとすぐに場所を開けたのを見て、ヴィクトもそれに倣ったのだ。

 

「そうだよ」

 

 相手にされたのが嬉しかったのか、ハーフエルフはにこにこと笑顔を返す。

 

「エルフの挨拶ってのぁ、なんでぇ」

「こんな日にも『いい天気ですね』って言うんだ」

「へぇ、土砂降りをけぇ。おかしなもんじゃね」

「うん。彼らにとってはどんな天気でも好ましいらしい」

「少年はそう思わんのけ」

「僕?」

 

 突っ込まれて、少年は首を傾げた。

 

「僕は土砂降りで商隊が動かないのは困るからな、こんな日じゃなけりゃいいのにって思うよ」

「そうけ」

 

 二人の会話を聞いているうちにヴィクトは、腹に入れた力を抜いていた。

 話している内容こそ目新しいものの、二人の穏やかな空気は、故郷の子供たちが近所の大人を捕まえて話をしたがる、あの雰囲気にどことなく似ている。

 ヴィクトがふと周りの様子をうかがうと、他の傭兵たちも先程より少し肩の力を抜いているようだった。

 外は土砂降り、当面は暇で、冷えに疲弊する体の感覚と頭を支配する不満を少し片隅に追いやるにはちょうどいい。ひとり、ふたりと、小さな傭兵に興味を持った男たちが話しかける。明るく受け答えするハーフエルフの声は、空模様をいっとき忘れさせてくれそうだ。

 ヴィクトはずぶ濡れの小さな傭兵を暖炉の前に手招きしてやった。してやってから、ふと不安になったが、尖った耳の少年は嬉しそうに火に寄っていく。

 

「助かるよ。あったかいねえ」

 

 冷えて白くなった頬が赤みを帯びて、表情が見るからに綻ぶのをみて、ヴィクトは不思議に思った。

 

 ──そのへんの子供と何か違うのだろうか、こいつは。

 

 まじまじと見ていると、ふと目が合ってしまう。

 なんだい、と笑顔で首を傾げられて、決まりの悪くなったヴィクトは、ついさっき頭をよぎったことを口にした。

 

「そういえば、火は平気なのか、お前」

「どうして?」

「エルフってのは火を嫌うって聞いたことがあるが」

 

 ヴィクトが昔に聞きかじったことを口にすると、ハーフエルフは合点が行ったような顔をした。

 それから、ふっと目を暖炉に移す。火を写し取る翡翠色の瞳は、おそろしく透き通っていて美しい。

 

「ああ、うん。そうらしいね」 

 

 ほんの少し間をおいて答えたその声が妙に落ち着いていて、ヴィクトは一瞬混乱した。先程まで明るく響いていた声と同じ声だろうか。

 ヴィクトの反応をよそに、ハーフエルフはまた、明るい表情に戻って話を続けた。

 

「でも僕は寒いところで育ったからな。火の大事さは身に染みてるし、彼らが火を嫌う理由はよくわからないや」

 

 育ったところはどんなところなのか、と他の傭兵が聞いた。すると、少年は目をキラキラさせて、故郷の美しさを語りだした。

 

 ──はるかなる山嶺、凍る吐息。雪の降る山の上。牧歌的な情緒が漂う景色と、そこに寄り添って生きる人々の生活。

 

 芸術というものにとんと縁のないヴィクトでも、その語り口を詩人のようだと思った。まるで同じ話を幾度も幾度もしながら、遠い旅路を歩いてきた吟遊詩人のようだと。

 それから、少年は自分の旅路を少し語った。誰かが聞いたのかもしれないし、彼が話したくなったのかもしれない。いずれにしろ、すでにヴィクトはこのハーフエルフの言葉に強い興味を持っていた。

 

 故郷を離れて、エルフの住む森を目指して旅をしたこと。たどり着いたエルフの森は、それは美しかったこと。けれどそこにも、ハーフエルフの居場所はなかったこと──。

 少年はまだ旅をしていて、これからもずっと旅をするのだと言った。

 

 誰かが、エルフとハーフエルフの違いについて尋ねた。すると少年は、「火を嫌がらないかどうかじゃないかな」と言って明るく笑った。

 ヴィクトたちとともに暖炉を囲んで笑う彼は、あらゆる点で異質ではあった。けれども、そこにいてひどく場違いであるとか、排除しなければならないものだとは、もう誰も感じていなかった。

 

「彼らが火を嫌がるのって、本能的なものなのかな。思想的なものなのかも。聞いた話だと、森を焼くことがあるから忌み嫌っているみたいなんだ。僕だって火は怖いけど、大事なものや自分が焼かれないように扱いを気をつければいいだけだし、こうしてあったまるのにも使えるだろ?」

 

 ヴィクトは、ふと腑に落ちた気がした。異彩を放ちながらもそこにいて違物感がないのは、この少年がハーフエルフであり、半分以上はヒトであるためだ。彼の中では、エルフは「彼ら」で、人間が「こちら側」なのだろう。

 

「お前、どっちかというと人間っぽいんだな」

 

 ヴィクトが感想を漏らすと、彼はふと不思議そうな顔をした。それから、にこっと笑った。

 

「ヒトに囲まれて育ったからね。人並みに荒れた天気は嫌だし、晴れた空は好きだよ。寒い日は暖炉が恋しいし、暑い日は冷たい川に飛び込みたい。仲間外れにされると寂しいし、仲良くしてくれれば嬉しい」

 

 彼の笑顔には屈託がなくて、それでいてその言葉には深遠な気配がある。

 まるで少年のような姿をしているのに、口にするのはどんな歴戦の傭兵からも聞いたことがないような、遠い世界のこと。そして、知らない世界の話をしているのに、最後にはどこの子供でも知っているような単純な話に着地するのだ。

 ヴィクトは不思議に思いながら、彼を見つめていた。

 

「ね、名前を聞いてもいいかい。これから一緒に仕事をするんだし」

 

 言われて、ハッとした。「仲良くしてくれれば嬉しい」と彼は言ったのだ。慌てて手を出す。

 

「ああ。ヴィクトだ」

「よろしく、ヴィクト。僕はリウェン」

 

 彼はそう言いながら、ぐっとヴィクトの手を握った。思いのほか握力は強かった。最初に腹に力が入ったのはヴィクトの防衛本能だったかもしれないし、腹から力が抜けたのは、「こちら側」だと思ったからかもしれない。

 

 ──思ったより、頼りにして良さそうだな。

 

「リウェンか。よろしく」

 

 ヴィクトも強い力で握手を返した。リウェンは嬉しそうに微笑んだ。

 周りの傭兵も次々とリウェンと握手を交わして、名乗った。その様子を見ていて、ヴィクトは少し悔いた。

 仲間外れにされると寂しい。子供でも知っていることだ。

 一通り挨拶が済んだところで、ヴィクトはリウェンを呼び留めた。

 なんだい、と首をかしげる姿は、濡れた体を温めに暖炉の傍へ来たつい先程と、まったく変わっていない。変わったのはヴィクトであり、傭兵たちの空気だ。

 

「さっき、人間っぽいとか言って悪かったな。ついもの珍しくて」

 

 リウェンは翡翠の瞳をまんまるにして、それから噴き出すように笑った。

 ヴィクトは決まりが悪くて、そんなに笑わなくてもいいだろ、とぼやく。悪い悪い、と言いながらリウェンは、ヴィクトの肩をばしばしと叩く。

 ひとしきり笑ったあと、リウェンは急に落ち着いた声で言った。

 

「いいさ、慣れてるから。それより仲間に入れてくれて嬉しいよ。君はいい人だな、ヴィクト」

 

 からっと笑うリウェンは、やはり空気を淀ませない風のようだった。

 いつしか雨の音は弱くなって、屋根の下には傭兵たちの穏やかな歓談の声が響いていた。

 


(更新日:2023.01.15)